医院紹介
原田内科医院の歴史・設備等をご説明します。
設備紹介
病院外観
全体像および医院玄関
白いタイルの内科医院です。タイルは天候や時間帯によって色々な表情を見せてくれます。入口は緩やかなスロープになっており、周囲は赤レンガで敷き詰められています。中庭や敷地内の樹木がバランスよく配置され季節感を感じさせてくれます。緑と白のコントラストが印象的です。
受付
受付
スタッフが親切に迎えてくれます。診療に関することは何でもご相談ください。
  
待合室
待合室
映像や音楽が流れていてリラックスできる空間です。小さな待合室も用意しています。大きな窓から差し込む光のため室内はいつも明るく、居心地の良い空間となっています。
診察室
診察室
二つの診察室があります。心電図や超音波診断装置を常備しています。安心して診察が受けられるように医師は内科疾患についての最新情報をわかりやすく提供できるように常に心がけています。
処置室
処置室
採血や点滴を受ける白を基調とした清潔感あふれる広い空間です。音楽が流れ窓の景色も楽しむことができます。検査を受けた後、ゆっくりベッドの上で休むことができます。
内視鏡室
内視鏡室
解像度の高い内視鏡スコープを使用しています。上部・下部の検査が可能です。胃や腸への送気は炭酸ガスを使用した苦痛の少ない内視鏡検査です。ご希望に応じて麻酔下での検査も可能です。予約制ですが診察の結果で必要と判断すれば当日行うこともあります。疾患により適応の範囲内で日帰り内視鏡手術が可能です。音楽を聴きながら検査や手術が受けられます。
前処置室
前処置室
プライバシーが保たれる個室タイプの前処置室で全室テレビ付です。おもに大腸の内視鏡検査を安心して受けていただくための部屋です。専用のトイレがあり、リラックスできる空間です。
レントゲン室
レントゲン室
必要に応じて胸部、腹部のX線写真を撮影します。骨密度も測定できます。


中庭
中庭
四季の移り変わりが感じられる樹木に心が癒されます。庭は建物の正面ほぼ中央に配置され待合室、診察室前の通路、処置室から庭の景色を見ることができます。
看板
看板
藍色の深い青を背景に原田内科医院のHiの文字が刻まれています。ロゴマークです。


ロゴマーク
このロゴマークは名刺、看板、診察券、封筒に使われています。アメリカハワイ州と同じアルファベットの構成ですが意味はもちろん違います。Hは原田の頭文字、Iはinternal medicine 内科の頭文字です。家族や隣人への「愛」という意味もかけています。またHの縦の白2本が医療スタッフを表し横向きの黄金色の板を支えあっています。板の上には白く光った丸いものが乗っていますね。これはいったい何でしょう?人間が生きるために大切なもの、言葉にできない本質的な何かです。人それぞれ大切なものは違いますね。本当に大切なものや人間が生きていく意味は何でしょうか?その大切な何かを守るのが私たちの仕事だと思うのです。Iの文字は胴体部分が黄金色で、支えになっているベッドと同じ色になっていますね。大切なものを見守るように明るい白い光を放っています。冷静に、そして愛情をもって患者さんたちの支えになる。それが私たちの役目であり目標でもあるのです。
ところで背景の藍色または深いブルーが何を表していると思いますか?敷地内にある薬局の屋号は「あおぞら薬局」なので、それに合わせて青空の色?いいえ違います。原田内科医院の藍色は海の色です。もともと原田医院は大正時代に祖父が天草で始めました。天草は海がきれいなところです。ずいぶん昔のことですが、朝のNHK連ドラで「藍より青く」という番組が天草を舞台に撮影されたことがあります。その当時天草に住んでいませんでしたが、海の見えない山あいの町に住んでいた私は子供の頃に青い海にあこがれたものです。私の父は天草の同じ場所に新しく医院を立て「原田内科医院」という屋号で祖父の仕事を継承しました。その父も7年前に他界し天草の医院は閉院しましたが、今回久留米に場所を移して「原田内科医院」の復活となりました。父の立てた医院をそのまま継承しなかったお詫びではありませんが、父やご先祖様のふるさとの海をイメージした藍より青い海の色がロゴマークの背景になっています。
2013年12月 院長 原田和徳
原田内科の歴史

“原田内科の歴史”を読む

大正時代に天草で始まりました。祖父・原田研一が銀行として使われていた明治時代の洋館を医院として改築し新規開業しました。小児科が専門だったと聞いています。
祖父は若くして亡くなりましたが、昭和47年12月に父・原田研二が勤務医をやめて天草に帰り、昭和48年2月から「原田内科医院」を再び新規開業のかたちで立ち上げ祖父の仕事を継承しました。
呼吸器、循環器、消化器を標榜し、約30年に渡り天草で地域医療を続けたのち突然の病に倒れ、平成18年に久留米の地でこの世を去りました。
本来ならば平成18年の時点で3代目の私が天草で事業を継いで医院を守る立場にありましたが諸事情により果たせず、久留米で天草と同じ屋号「原田内科医院」を父から引き継ぎ、平成25年12月に新規開業しました。こうして7年ぶりに「原田内科医院」を復活させることになったのです。
それにしても3代に渡り、すべて新規開業ですから、ある意味効率が悪いですね。
天草市と久留米市は地理的に場所が少し離れていますが国外からみれば同じ日本です。古くからイベリア半島との交流があった天草に根付いた原田家の子孫として広い視野と柔軟な考え方で日本という国のいわゆる地域医療に臨みたいと考えています。
ちなみに私の出生地は鳥取県米子市で少年時代まで島根県津和野町に住んでいました。山紫水明の静かな城下町です。津和野、天草、久留米、すべて私の故郷です。かけがえのない特別な場所です。


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